神社・仏閣  6.太田宿から柏原宿へ
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 宿駅のデータは「中山道宿村大概帳」による。人口は天保14年(1843)調査。

木曾海道六拾九次之内太田 広重画
人口   505人   家数  118軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠   20軒
祐泉寺
観音堂は享保13年(1728)の再建。
文政11年(1828)に槍ヶ岳初登頂に成功した幡隆上人の墓がある。
木曾街道鵜沼ノ驛 従犬山遠望 英泉画
人口   246人   家数   68軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠   25軒
手力雄神社
随分離れた所に大きな朱塗りの鳥居が立つ。鎌倉時代の僧形神像が社宝。街道右手方面にも同名の神社がある。           
            
木曾海道六拾九次之内加納 広重画
人口 2,728人   家数   805軒
本陣 1 脇本陣 1 旅籠    35軒
善徳寺
加納は岐阜市にあり美濃16宿のうち唯一の城下町。
取締のため宿の東西に番所を設けた。この寺の前が東の番所だった。
天満天神宮
ここを過ぎれば程なく長良川である。「壬戌」には「合渡の駅を過ぎ(西から来て)合渡川を舟にてわたり、松の林をゆけば、左に天満宮あり」と記されている神社。 
岐阻路ノ驛河渡 長柄川鵜飼舩 英泉画
人口   272人   家数   64軒
本陣 1 脇本陣 0 旅籠   24軒
延命地蔵堂
石仏の延命地蔵が祀られている。文化6年(1809)建立。毎年8月に地蔵祭りが行われ、子供相撲が奉納されるという。             
   
木曾海道六拾九次之内みゑじ 広重画
人口   582人   家数  136軒
本陣 1 脇本陣 0 旅籠   11軒
観音堂
秋葉神社横手にあるこの観音堂は、美江寺の名の起こりとなり今は廃寺となった美江寺跡にある。美江寺は斉藤道三により岐阜市内に移された。
木曾海道六拾九次之内赤坂 広重画
人口  1,129人  家数   292軒
本陣 1 脇本陣 1  旅籠   17軒
如来寺
建久6年(1195)尾張の定尊が夢のお告げで善光寺三尊仏の分身を奉じて来て花岡山上に如来寺を建立した。後に信長の兵火にあいここに移された。
 
木曾海道六拾九次之内垂井 広重画
人口  1,179人  家数   315軒
本陣 1 脇本陣 1  旅籠    27軒
        
本龍寺
明治になって脇本陣から移築された門がある。境内に安政2年(1855)に建てた時雨庵があり芭蕉木像が安置されている。
木曾海道六拾九次之内関ヶ原 広重画
人口  1,389人   家数  269軒
本陣 1 脇本陣 1  旅籠   33軒
戸佐々宮
すぐ近くにある藤古川を挟み壬申の乱が戦かわれた。集落の人々はそれぞれの軍を応援し、戦後この地域の人々が大海人皇子(天武天皇)を氏神として祀ったのがこの神社といわれている。
常盤地蔵
このすこし手前に源義朝の愛妾常盤御前の墓がある。
常盤御前は牛若丸(義経)の母、鞍馬山を出た牛若丸を追って来たがこの地で土賊に襲われ亡くなった。この小さな地蔵堂はこれを祀ったものか。
木曾海道六拾九次之内今須 広重画
人口  1,784人   家数  464軒
本陣 1 脇本陣 2 旅籠    13軒
              


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