宿駅のデータは「中山道宿村大概帳」による。人口は天保14年(1843)調査。
木曾海道六拾九次之内柏原 広重画 人口 1,468人 家数 344軒 本陣 1 脇本陣 1 旅籠 22軒 |
八幡神社 醒ヶ井宿近く、旧一色村にあり、壬戌に「八幡宮あり、此あたり大なる松の木多し」とある八幡神社。 |
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木曾海道六拾九次之内酔か井 広重画 人口 539人 家数 138軒 本陣 1 脇本陣 1 旅籠 11軒 |
加茂神社 この地の産土神。神社のすぐ下から清冽な湧水が流れ出ている。ここに蟹の形に似た「蟹石」や近くに地蔵堂、日本武尊像があり、この流れのなかに「紫石灯爐」や武尊の「腰掛石」がある。 |
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木曾海道六拾九次之内番場 広重画 人口 808人 家数 178軒 本陣 1 脇本陣 1 旅籠 10軒 |
蓮華寺 元弘3年(1333)六波羅探題北条仲時は、隠岐に流されやがて復帰した後醍醐天皇に敗れ、ここまで逃れて来たがついに叶わず一族郎党430人と共にここで自刃した。その墓がある。また本堂の裏手に番場の忠太郎の地蔵がある。 |
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木曾海道六拾九次之内鳥居本 広重画 人口 1,448人* 家数 293軒* 本陣 1 脇本陣 2 旅籠 35軒 (*は加宿を含む) |
床山八幡宮 名神高速道路のインターチェンジと東海道新幹線が交差する喧騒な所に近いが、境内には芭蕉の句碑「昼寝塚」が静かに立っている。 |
石清水神社 石段の途中、右手に能楽の扇を埋めたという「扇塚」がある。 |
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木曾海道六拾九次之内高宮 広重画 人口 3,560人 家数 835軒 本陣 1 脇本陣 2 旅籠 23軒 |
円照寺 明治11年(1878)、天皇が北陸東海巡行の折に宿泊され、「明治天皇行在所聖跡」の碑が門前に立っている。建物は明治期の建築だが堂々たる造りである。 |
唯念寺 旧四十九院村にあり、「木曽路名所図絵」に「文和年中(1352〜56)には後光厳院行在所し給ひ・・・」とあり、随分古くからのお寺である。 |
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木曾海道六拾九次之内恵智川 広重画 人口 929人 家数 199軒 本陣 1 脇本陣 1 旅籠 28軒 |
鎌宮奥石(おいそ)神社 老蘇の森の奥深くにあってこの地の産土神。祭神は天津児屋根命。東老蘇にある。 |
鎌若宮神社 西老蘇にあるもう一つの奥石神社である。 |
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木曾海道六拾九次之内武佐 広重画 人口 537人 家数 183軒 本陣 1 脇本陣 1 旅籠 23軒 |
鏡神社 本殿が重要文化財。建立年代は不明であるが文安(1444〜1449)期頃と考えられている。神社があるここ鏡の宿には牛若丸伝説があり、宿泊の館跡、元服したとき水を用いたその池などが残る。 |
篠原神社 中山道が新家棟川の下をトンネルでくぐり抜けた所に鳥居があって、神社はそのずっと奥にある。この里の産土神。 |
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木曾海道六拾九次之内守山 広重画 人口 1,700人* 家数 415軒* 本陣 2 脇本陣 1 旅籠 30軒 (*は加宿を含む) |
守山観音 守山観音で知られるが、寺号は東門院守山寺。延暦13年(794)伝教大師の草創と伝えられ、延暦寺の東門の意と、桓武天皇の「わが山を守る寺」とのお言葉からつけられたという。 |
閻魔堂 小野篁の作と伝えられる閻魔の像が祀られている。ここは旧閻魔堂村。今は守山市焔魔堂町。 |
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伊砂砂神社 昔は天大将軍社と称され、明治になって今の名に変わった。旧本殿は重要文化財。応仁2年(1468)建立。 |
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木曾海道六拾九次之内草津追分 広重画 人口 2,351人 家数 586軒 本陣 2 脇本陣 2 旅籠 72軒 |
新宮神社 野路にあり、宝亀元年(770)創建と伝えられる古くからの神社である。重要文化財の本殿は大永3年(1523)の建立。 |
篠津神社 表門は明治3年(1870)の膳所城取り壊しのとき北大手門を移築したもので、城門に多い高麗門形式である。 |
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篠津神社表門の背面 高麗門形式の表門背面。高麗門形式とは背面に主体部から直角に屋根が出ているものをいう。 |
和田神社 境内に石田三成が関ヶ原合戦後捕らえられ京へ護送される途中、休止の祭に繋がれたと伝えられる巨木のイチョウがある。天然記念物。本殿は正面に軒唐破風を付ける珍しい建築様式で重要文化財に指定されている。 |
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石坐(いわい)神社 延喜式に近江国滋賀郡八社の一つに数えられた古い神社。昔、干害にあったこの地の人が雨乞いをしたらひじょうな応験があり、里人の信仰が深かったと伝えられる。 |
義仲寺 国指定の史跡。室町時代末に佐々木六角氏が建立したと伝えられる。源義仲を葬った塚のあるところから義仲寺という。義仲の供養塔の傍に芭蕉の墓がある。境内には多くの句碑が立っている。 |
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木曾海道六拾九次之内大津 広重画 人口 14,892人 家数 3,650軒 本陣 2 脇本陣 1 旅籠 71軒 |
蝉丸神社上社 蝉丸は目が不自由であったにもかかわらず平安時代の琵琶の名手で、音曲の神として崇められた。大津市内にはほかに下社(関蝉丸神社)、分社(蝉丸神社)がある。 |
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東海道五拾三次大尾京師 広重画 |
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