寺 院 神 社 等 一 覧 ホームへ
名 称 | 一 言 | 写 真 | ||||
あ | 化野念仏寺 | 化野(あだしの)は古来より葬送の地、永遠の別離を悲しんだところ、八千体の石仏石塔がある。 | ||||
い | 今宮神社 | 京都三奇祭の「やすらい祭」が執り行なわれることで知られる神社。このお祭りは病魔を鎮め一年の健康を願うもの。桂昌院がこの神社の隆盛に力を注いだ。 | ||||
う | 宇治上神社 | 現存する最古の神社建築、源氏物語宇治十条の八の宮の山荘のモデルとなった場所といわれる。 | ||||
か | 上賀茂神社 | 世界遺産で正式社名は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。祭神は賀茂別雷大神でどんな災難も取り払ってくれる厄除けの神様。 | ||||
き | 祇王寺 | かつて平清盛に寵愛されやがて捨てられた悲劇の祇王を祀るささやかな草庵。大覚寺の塔頭。 | ||||
北野天満宮 | 学問の神様菅原道真を祀る。今の社殿は豊臣秀頼の造営。 | |||||
貴船神社 | 絵馬発祥の地とか。鴨川の上流にあり古くから京の水源を守る神様として崇められている。 | |||||
京都御所 | 東京遷都まで長い間皇居だった。宮内庁へ事前に申込み参観した。 | |||||
清水寺 | 京都観光の定番スポット。懸造りの本堂の舞台は魅力ある建物である上、京の町の眺望も素晴らしい。 | |||||
く | 鞍馬寺 | 神秘的なパワースポットとして人気がある。義経が牛若丸の時代ここで修行したことで知られる。 | ||||
け | 建仁寺 | 日本に禅を伝えた栄西禅師の開山。国宝の「風神雷神図屏風」の複製が展示されている。 | ||||
こ | 光悦寺 | 本阿弥光悦は江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。この地を徳川家康から拝領し、死後に寺となったもの。独特な光悦垣で知られる。 | ||||
高山寺 | 国宝「鳥獣人物戯画」はあまりにも有名。紅葉の名所三尾(栂ノ尾、槙ノ尾、高尾)の里の一つ栂ノ尾にある。 | |||||
高台寺 | 豊臣秀吉の正妻ねねが建立した。絢爛豪華な安土桃山文化を今に伝える寺院。 | |||||
広隆寺 | 国宝第一号の弥勒菩薩半跏思惟像を祀る。この仏様に会いたくて幾度足を運んだろうか。 | |||||
金戒光明寺 | 幕末、京の治安を任された京都守護職の会津藩主松平容保が藩士一千名を率いて本陣とした寺院である。 | |||||
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さ | 西明寺 | 四季豊かな自然に囲まれた槙ノ尾にある。昔神護寺の別院として創建され後に独立した。 | ||||
三十三間堂 | 蓮華王院というのが正式で平清盛の造立。ずらりとおわします1001体の仏さまに圧倒される。 | |||||
三千院 | 永六輔の作詞「女ひとり」に登場することで知られる。伝教大師最澄が延暦寺建立のとき草庵を結んだのが始まりという。 | |||||
し | 慈照寺(銀閣寺) | しっとりと落ち着いた感を受ける京都を代表する寺院と思う。銀沙灘を前に銀閣と向月台を見る景色はなんとも風情があり素晴らしい。 | ||||
下鴨神社 | 参道の糺の森を抜ける所にある京都屈指の古社、縁結びや子育てにもご利益があるとか。 | |||||
寂光院 | 建礼門院徳子は壇ノ浦の戦いで入水したわが子安徳天皇の菩提を弔い終生ここで過ごした。 | |||||
常寂光寺 | 寺の名は仏教の理想郷「常寂光土」を思わせる佇まいからついたという。 | |||||
相国寺 | 法堂の天井画「蟠龍図」の龍はどの方向から仰ぎ見ても見る者の方を向き鋭い眼光で睨む。その迫力に圧倒された。鳴き龍でもある。 | |||||
神護寺 | 紅葉の名所。和気清麻呂が創建した高尾山寺が始まりで、最澄や空海が入山し平安仏教の中心的役割を果たしてきた。 | |||||
す | 瑞光寺 | 総茅葺の屋根を持つ小さな本堂は風情がある。本堂には「寂音堂」の扁額が掛かる。 | ||||
せ | 石峰寺 | 石峰寺は黄檗山萬福寺を本山とする黄檗寺院。寛政年間に画家伊藤若冲がこの寺に草案を結び五百羅漢を描き石工に彫らせている。 | ||||
泉涌寺 | 寺号は順徳天皇の御代(承久元年1219)に再興した折、寺地の一角から清水が湧き出たことから改名されたという。 | |||||
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た | 大覚寺 | 門跡寺院(天皇または皇族が住職に就かれる)。南北朝時代の南朝の御所となった。皇室の菩提所。御寺。 | ||||
醍醐寺 | 醍醐天皇が自らの祈願寺とし手厚く庇護した。秀吉の「醍醐の花見」で知られる。 | |||||
退蔵院 | 妙心寺の塔頭。庭園が美しい。平成15年中山道を完歩した翌日に訪れた。 | |||||
大徳寺 | 応仁の乱で荒廃していたものを一休和尚が復興、桃山時代に秀吉が信長の葬儀を行ったことで知られる臨済宗大徳寺派の大本山。 | |||||
大法院 | これも妙心寺の塔頭。信州松代藩主真田信之の菩提寺。抹茶の接待を受け露地庭園を鑑賞してきた。 | |||||
鷹峰源光庵 | 本堂にある丸い「悟りの窓」と角窓の「迷いの窓」が魅力的、庭園も美しい。 | |||||
ち | 知恩院 | 京の三大門の一つ三門がライトアップしたときに出会った。浄土宗の開祖法然上人が草庵を結んだのがこの寺の起源とか。 | ||||
智積院 | 根来山大伝法院の学頭寺院であった智積院は巨大な勢力を持ったため秀吉に一時滅ぼされるなど歴史に翻弄された寺院である。 | |||||
て | 天龍寺 | 京都五山第一の寺格とされる。大方丈前の曹源池は国の特別名勝第一号。 | ||||
と | 東寺 | 新幹線で京都駅に近づくと間近に高くそびえる五重塔が見えてくる。京都のシンボル的存在であり、これを見てまた京都に来たんだと実感する。 | ||||
東福寺 | 京を代表する紅葉の名所。紅葉越しに見る通天橋が素晴らしく重厚な三門も印象に残った。 | |||||
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な | 南禅寺 | 京都五山の別格として栄華を誇った。この寺の三門は知恩院の三門、仁和寺の二王門とならび京の三大門と云われる。 | ||||
に | 西本願寺 | 西本願寺は通称で正式には竜谷山本願寺という。親鸞の廟堂として創建されたのが始まりとされる。浄土真宗本願寺派の本山。 | ||||
二条城 | 徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営した。15代将軍慶喜が大政奉還を決めた所である。 | |||||
仁和寺 | 代々皇族が住職だった門跡寺院。格式高く宸殿、五重塔、三門等見どころが多い。仁和4年(888)宇田天皇の創建による。 | |||||
ひ | 東本願寺 | 東本願寺は真宗大谷派の本山で、正式には真宗本廟という。豪壮な建物、御影堂は世界でも最大級の木造建築物である。 | ||||
平等院 | ときの関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院として創建したもので阿弥陀堂として建てられたのが鳳凰堂とか、10円玉でおなじみ。 | |||||
ふ | 伏見稲荷大社 | 全国にある「お稲荷さん」の総本宮で五穀豊穣、商売繁盛等の神様として人々の信仰が篤い。千本鳥居が有名。神使の狐の像も目立った。 | ||||
へ | 平安神宮 | 比較的新しくなんと明治28年(1895)桓武天皇の平安遷都1100年を記念して造られた。 | ||||
ほ | 方広寺 | 豊臣秀頼が奉納した梵鐘の銘の中の「国家安康」「君臣豊楽」が徳川幕府を呪詛するものとの口実を与え大阪の役が起こされた。 | ||||
宝塔寺 | 前身である極楽寺が紫式部の源氏物語第33帖に登場するほどの古刹である。多宝塔の屋根は特徴ある行基葺となっている。 | |||||
法然院 | 法然上人ゆかりの寺院。山門をくぐるとすぐに水の流れを表す白砂壇と呼ばれる盛り砂が目に留まる。 | |||||
法輪寺 | 境内から見下ろし眺める保津川方面の景色がいい。和銅6年行基の開創。 | |||||
本能寺 | 「本能寺の変」で焼かれた本能寺は秀吉の命でこの地に再建された。「信長公廟」は信長の三男信孝によって建てられた。 | |||||
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み | 壬生寺 | 新選組の本拠は壬生村八木家にあり傍のこの寺は兵法調練場に使われた。近藤勇像や壬生塚がある。 | ||||
妙心寺 | 花園天皇(1297〜)創建の禅刹。法堂の天井に狩野探幽の雲龍図が描かれている。 | |||||
や | 八坂神社 | 京のメインストリート四条通りを東へ突き当たった所にある。西楼門の鮮やかな朱色が実に美しい。 | ||||
八坂の塔 | 清水寺を訪れるとき八坂通りから正面に見上げる美しい法観寺の五重塔。 | |||||
り | 龍安寺 | 白砂の庭に15個の石を配した石庭はまた行きたいという魅力がある。室町末期に造られたといわれる。菜種油を混ぜ造られた油土塀がよく似合う。 | ||||
ろ | 鹿苑寺(金閣寺) | 京都観光の定番。足利義満の別荘が起源で鏡湖池に映る二層と三層に金箔が貼られた金閣は豪華絢爛である。 | ||||
六波羅蜜寺 | このあたりは平家の邸宅があった所とか。空也上人の立像が見たくて清水寺への途中に立ち寄った。 | |||||
盧山寺 | ここは紫式部の邸宅跡でこの屋敷で源氏物語を執筆したという。明治維新まで宮中の仏事を司った寺院の一つ。 | |||||
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他 | インクライン | 桜が美しかった。琵琶湖疎水事業のため船を運ぶために造られた鉄道の跡。 | ||||
三条大橋 | 鴨川に架かる。五街道の一つ東海道の起点であり、日本橋から中山道を完歩した時の終着点でもある。 | |||||
哲学の道 | 琵琶湖疎水沿いの小径で道を覆った桜並木が見事だった。哲学者西田幾多郎がよく散歩しそれで名づけられた。 | |||||
寺田屋 | 坂本龍馬が京の宿としたところ。慶応2年(1866)幕吏に襲われ危うく脱出した。 | |||||
渡月橋 | 桂川に架かり嵐山の風景によくマッチする。橋名は亀山天皇が橋の上を移動する月を眺め「くまなき月の渡るに似る」と言われたことからという。 | |||||