方広寺 鐘銘

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豊臣秀吉の命により大仏殿を造ることが寺院の始まりとなった。天台宗山門派の寺院である。

このとき東大寺のそれより大きい木造・漆喰造りで大きさ6丈3尺(約19m)の大仏を建てたが文禄5年(1596)に起きた慶長伏見地震により倒壊、大仏殿とともに焼失した。

この鐘は秀頼が奉納したもので東大寺、知恩院のものと合わせ日本三大名鐘のひとつとされる。

徳川家康がこの鍾の銘文を家康を呪詛するものと言いがかりをつけ、豊臣を滅ぼす口実にして大阪の役を起こしたのはあまりにも有名な話である。