本能寺 信長公廟
以前は四条西洞院にあったが本能寺の変のとき(天正10年1582)焼失し、やがてこの地に秀吉の命で再建された。
現在寺号の「能」の字の旁は縦に重ねた「ヒ」の代わりに「去」と書いている。
これは幾度も火災に会ったことから火から去るという願いがあるからと云われる。
本能寺は応永22年(1415)日隆聖人が「本応寺」を建立したのが始まりでその後永享5年(1433)寺号が本能寺に変えられたという。
この信長廟は信長の三男信孝が建てたものである。