本尊は釈迦如来。開基は宗峰妙超、正中2年(1325)の創建。桃山時代、ここで豊臣秀吉は織田信長の葬儀を営み、これをきっかけに戦国武将の塔頭建立が盛んになり大徳寺は大いに隆盛を極めた。 山門は千利休が2階部分を増築し、金毛閣と称し自らの像を安置したため、秀吉の不興を買い、自裁の原因となった。 仏殿は一休和尚により再建されたのち、寛文5年(1665)那波常有により改めて建造された。 法堂も応仁の乱で焼失、これも一休和尚によって再建されたが、のちに小田原城主稲葉正勝・正則親子により再建されている。 いずれも重文である。ここに載せなかったが国宝の唐門がある。 |