化野念仏寺 西院の河原
「あだしの」は「化野」と記し、「あだし」とははかない、むなしいとの意だそうである。 境内に奉る八千体の石仏・石塔は往古この一帯に葬られた人々のお墓で、何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していたが明治中期に地元の人々の協力もあり安祀し賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。