高札場はみな同じように見えたが、何カ所か写真に撮ったので捨てるに忍びず何枚か をここに集めてみた。高札場とは江戸時代、高札が掲示された所をいい、町辻・橋詰・ 追分・船渡場・港頭・関所など四通八達の場所に設置された。高札はいわゆる大高札の 5枚の高札、すなわち1.雑事(忠孝・親子)、2.キリシタン、3.毒薬、4.駄賃 (貫目)、5.火付(火事場)が主なものであった。 つまり高札は幕府が一般庶民に法を公示し統治する手段に用い、高札違反者は厳罰に処 し、高札及び高札場の管理を厳重にし、高札場を通るものに脱帽をさせ、高札を通じ庶 民に法の尊厳さを教え、幕府の権威を誇示するとともに遵法精神の涵養を図った。 また、キリシタン・火付・鉄砲・徒党などに関して賞金によって告訴を奨励し、もって 微弱な警察力を補充し、犯人逮捕の実を挙げようとした。一方高札は簡潔であり、庶民 に理解しやすく、寺子屋の教科書として利用させたり、印刷して広く販売させることで 庶民に対し法への親近感を植え付けた。高札の役割は明治6年に終わったので、いま目 にする高札場は全部復元したものであろう。(この項は吉川弘文館國史大辭典を参照) |
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