徳川家康は秀忠に命じ慶長9年(1604年)、五街道に榎を植えた塚を一里(3.93km) 毎に築かせた。これが一里塚です。 9m四方、高さ3mの塚は道の両側に設けられ、旅人の里程や乗り物運賃の目安となり、「くたび れたやつが見付ける一里塚」と詠んだ川柳があったそうですが、その木陰は旅の疲れを癒す所でも ありました。中山道は135里余だから一里塚の数もそれだけあったのでしょうが、私が見付けた 数はその半分もありません。見落としたものも幾つかあるだろうし、完全にこの世から消え去った ものも沢山あることでしょう。 明治以降、交通形態の急激な変化や道路拡張、付け替え、農地・宅地への転用などにより消滅した ものと考えられます。今もって当時の原型を保ち国史跡として守られているものから、単に標識の 杭が立っているものまで様々です。歩いて判ったことは旧蹟への自治体の取組み方にかなりの温度 差が見られることでした。しかし、これは中山道そのものについても言えますが、街道開設400 年を契機に郷土の歴史を見直し、旧蹟の整備に真剣に取組んでいる自治体が多く見られます。 ありがたいことです。写真の説明で江戸からの里程が書き込んであるのは塚あるいは塚の標示板に 書いてあるものを写しています。 |
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